【体験談】3人の娘をモンテッソーリ教育の幼稚園で育てた母親の子育て体験談

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前回に続いてお送りする子育て体験談は、前回の体験談記事同様にモンテッソーリ教育の園にお子さんを通わせていた女性の方からの体験談になります。

「敏感期」のリンゴむきのエピソードや、小学校で3人とも公文式に通わせて、1学年上の勉強をしていた話など、非常に興味深いストーリーですね。

娘3人を通わせたモンテッソーリ教育の幼稚園

今はもう社会人になりましたが、私にはモンテッソーリ教育で育った娘が3人います。

なぜモンテッソーリ教育を受けたかというと、それは全くの偶然で、夫の仕事の都合で住むことになった地方都市で、近所にあった幼稚園が実践していたからでした。

園長先生のお嬢さんがイタリアに留学してモンテッソーリ教育の免許を取得し、副園長として他の先生方を指導していました。副園長はモンテッソーリ教育を知りたいと希望する保護者を対象に年に何度か勉強会も行っていて、モンテッソーリ教育のことや留学体験について話してくれました。

元々、モンテッソーリ教育はスラムの子どもたちのために始まりました。夢も希望も、教育を受ける機会もない子どもたちのために小児科医のモンテッソーリはいくつかの教具を作り、それを自由に使ってよい場を与えたところ、子どもたちの態度が落ち着き、自信と誇りを持つ表情に変わり、そのことがきっかけとなってモンテッソーリ教育が確立されたそうです。

第2次世界大戦時には、優秀な子どもを育てようと企むナチスドイツから目を付けられ、モンテッソーリは亡命しています。モンテッソーリ教育が優れていたからナチスに狙われたので、だからこそ悪用されることがないように免許制になったのです、と副園長は言っていました。

モンテッソーリ教育には小学校課程や中学校課程もあり、小学校のはじめに、まず世界があって、多くの国があって、私たちの国があって、街があって、そこに私たちがいるのだと教え、歴史も太古から現在までのとても時間があって、人間はちょっとだけの長さなのだと教える、まず全体を見てから今の自分たちを見る姿勢を教えるのだという話を聞き、夢を見ているような気持ちになりました。また、留学時代の友人だったフィンランドの女性が、帰国後に国立の小学校を任されて校長先生になったという話も聞き、国が違うだけでこんなにも違うものかと衝撃を受けました。数年後にフィンランドの教育が優れていると評判になった時、当然だと思いました。

モンテッソーリ教育における「敏感期」の重要性

モンテッソーリ教育が大切にしているのが「敏感期」です。
乳幼児期にたくさんあって「敏感期」に与えると容易く身につくのに「敏感期」を逃してしまうと何倍の苦労をしてもなかなか身につかない、というものです。

当時四歳だった二女が「りんごをむきたい」と言った時のことを今も思い出します。

手を切ったらどうしようと思いながらも「やりたいときが敏感期でやり遂げた時に子どもは自信と誇りを持つのだ」と私は自分に言い聞かせ、子ども用の包丁を用意し、できるだけ静かに冷静に、だけど真剣に「ママの言うとおりに真似してやるのよ」と言って、一緒にりんごの皮をむきました。

無事にできて終わった時の彼女の満足した顔は今も忘れられません。





モンテッソーリ教育の園から小学校へ上がった後

私の子育ては過保護と過干渉を意識して避けたことくらいで、完璧な母親とは程遠かったと思います。実際、見知らぬ土地で誰にも頼れず3人の子を育てるのは、食べさせて着せて寝せて、という当たり前のことで手一杯でした。

長女が小学校に入学してから、勉強でクラスの子たちとレベルをあわせるために無駄な苦労しているように思えたので、公文式の教室に入りました。

教室でお願いして2年生用の教材を出してもらったところ、ようやく取り掛かり、馴染んでいきました。結局3人とも公文式に通い、小学校の通知表の評価は全く気にせず、「勉強しなさい」と家で言うこともなく大きくなりました。

子育てが一段落してから私はPTA役員などを経て、フルタイム勤務の仕事に就きました。子ども達は交代でお風呂当番をしてくれました。

高校生になると、恥ずかしながら私が朝寝坊をすると、自分でお弁当を詰めて「行ってきます」と私に声をかけて出かけるようになりました。

現在は2人が公務員、1人が医師になり、男女平等な条件で続けていける職場で頑張っています。